生徒さんから「いい演奏がある!」と教えてもらったのをきっかけに今年のショパンコンクールを(全部では無いですが)見ました。
ミーハー嫌いと言うか、盛り上がってるとそっぽ向きたくなる天邪鬼な性格な割には結構な時間を割いたと思います。前回は日本人が二人も入賞しちょっとしたフィーバーになったようですがほぼノーチェックでした。
目を閉じると頭の中でピアノの音がしていたような日々でしたが、さすがに時間が経って落ち着いてきたので感じたことなどをアウトプットしておこうと思います。
いつかどこかに書いた気もするのですが、私はショパンコンクールにはちょっとした原体験のようなものがあります。時は1985年、なんと、40年前!当時はまだそこまで普及していなかった家庭用ビデオデッキ(ベータではなくVHS)が祖父の家にはありました。ゴルフ好きの祖父がフォームのチェックができることを期待して買ったものです。近所だったのでしょっちゅう遊びに行っていた私は、従兄弟に録画してもらったG.セルシェルの東京文化会館でのリサイタルのオンエア(後半の6弦の部分だけだったのが残念でした)の続きに入っていたNHK特集「ショパンコンクール」を見るのがお約束でした。
九州ギター音楽コンクールをのために練習していた私は、鮮烈なS.ブーニンの演奏を食い入るように見て「コンクールで優勝するにはこうでなきゃ」と勝手に妄想を膨らませていたものです。演奏を終えて控え室に戻ってくる途中で花を渡されても、まだ集中が切れてなかったのか、気付かずに通り過ぎて、控え室まで女性が追っかけてきて渡して、やっと微笑んで「ありがとう」と受け取るシーンとかクールでかっこいいーなんて思ってました。ピアノはファツィオリでしたね。細身な体格から繰り出される強靭な音楽はファツィオリあってこそだったと思います。
そんなこんなで、ショパンコンクールと言えばひたむきに練習していた子供時代の記憶としっかり結びついています。
1985年だったら「オンタイムでショパンコンクールを聞いた」と言える人はごく限られた人だったはずですが、21世紀も4分の1が過ぎたインターネットの時代、自宅でソファに座りながら見ることができます。今回私は時差の関係でオンタイムでは見てないですが、そこそこ追っかけました。
生でホールで聴くのとyoutubeで配信を見るのでは音響的には厳密には同じでは無いでしょう。ホールの客席のどこで聴くのかで印象は変わるものです。また、配信だと録音の違い、再生環境の違いというのも生まれます。録音といえばマイクは私が大好きなショップスでした。ヘッドが小さいので目立ちにくいというのはあるかもしれません。それでも誰かがブログに「ステージ上のマイクをぶら下げるためのワイヤーが日本の電線のように目障り」と書いてたように本選のコンチェルト用でしょうけど、かなりの数を投入してましたね。いつぞやの写真を見たらノイマンでしたが。ピアノの直接音を拾うマイクもショップスでしたが、ステージ上にスタンドを置きアームをいっぱいに伸ばして収音してました。奏者がペダルを踏む音が「ごん!」と結構入ってました。前回はステージ上ではなく、客席フロアにスタンドを立てていたそうですが、希望する高さにならなかったんでしょうかね。そういうことも配信でいろんなアングルから捉えられた映像を見ることができるから、そしてネット上にいろんな情報があるから楽しめたのかもしれません。
演奏の内容ですが、生徒さんが教えてくれた桑原詩織さんの演奏が私はいちばん好みでした。
常に余裕、余白があって押し付けがましく無い。聞き手の感情が入り込む余地を残してくれている。
他にもヴィンセントオンさんのコンチェルトと言うよりまるで室内楽のような親密なアンサンブル、リュー・ティエンヤオさんのキラキラした若さ、シゲルカワイのバランスの良さを活かしたワン・ズートンさんの演奏、ポーランド人の流石のポロネーズやマズルカ舞曲性など聴きどころがたくさんありました。
どんなコンクールでも審査結果には何かしらモヤモヤするものが残るものですが、そもそも音楽に点数をつけること自体に無理があるし、審査員も人間なのでしょうがない。
最後にちょっと。GFAコンクールを見た時にも思ったんですけど、演奏中の顔の表情の変化が大きい人がいて、「顔芸」に気を取られて音楽に集中できない演奏家がいました。
少しでも表現をしようという意欲の表れだとは思うのですが、まるでパントマイムのような、音を消してても何の曲を弾いているのかわかりそうな、表現の度合いが聴覚よりも視覚の方が大きいというのはいかがなものか、と思います。その顔の表情も絞り出した苦しみのような、悶絶しているような….見ていてあまり美しくないものだと聞く気も失せてしまいます。
それもネット時代、youtubeでアップで表情が見られるからこそ、だと思いますが。