間奏曲 Op.118-2 / J.ブラームス

2曲目はブラームスの名曲。

平野啓一郎さんの小説「マチネの終わりに」の第1章で主人公、天才ギタリストの蒔野聡史がデビュー25周年記念リサイタルをサントリーホールで開き、そのアンコールの二曲目として自身の編曲で演奏した、という設定になっています。
当日の演奏の中で唯一満足のいく出来で、小峰洋子さんとの出会いの場面で「アンコールのブラームス、編曲、素晴らしかったです。本当にうっとりしました」「グレングールドのピアノが好きでしたけど、これからは蒔野さんのギターで聴くことにします」と最大の賛辞を贈られた曲。

このブログにも書いていますが、私は「ギタリスト橋口武史と読むマチネの終わりに」という解説コンサートをしていますが(最近滞ってます)、第1回の時はこのブラームスはピアノの名曲だからギターでは演奏できない、小説の中だけのことだ、と思ってピアニストの中尾さんに演奏してもらいました。
ところが!そののち、鈴木大介さんがギター用に編曲した楽譜が出版されたのでギターでは弾けない、なんて言い訳ができなくなってしまいました。この音はどうしても必要じゃないかなあと思うところがあったので、イ長調からニ長調に移調するというアイデアはありがたく拝借して結局自分で編曲してソロで演奏していました。

しかし、やはり元がピアノ曲。鈴木大介さんが(おそらく泣く泣く)カットした音を復活させるとひっじょーに難しくなってしまい、流れが悪くなってしまってました。ギター二重奏にすると良さが出るんだろうけどなあ、とずっと思いながら弾いていました。

ギターデュオって大きく分けると2つのタイプがあると思います。演奏者の個性の違いをぶつけ合ってそれを楽しむタイプ、もう一つは、どっちが弾いているのかがわからないくらい、もしくは、まるで一人で弾いているかのようなデュオ。
一曲目のモーツァルトは前者のタイプの方が面白いと思いますが、このブラームスはロマン派のパーソナルな曲調なので後者じゃないと。そうなると共演者が限られてきます。同門と言えど、長崎ギター四重奏団のメンバー山口修、坂元敏浩、平戸健吉、いずれの先輩がたともちょっと違う。今、思いつく限りでは岩﨑さんが適任、と言うか岩﨑さんとしか弾ける自信がありません。

4月の橋口屋のときよりちょっと醒めた演奏になってしまった気もします。

中間部のコラールのような部分で内声を半音間違えてしまいました。大事な音なのに…

投稿者: ギタリスト 橋口 武史

長崎出身で福岡に住む自然派クラシックギタリスト。

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