「困ったな」。あいれふホールを後にしながら口を突いて出て来た言葉がこれ。私も一応演奏家の端くれのつもりなので、目の前であんなに完成度の高い演奏を見せつけられてしまうと困ってしまうのだ。お前にはできるのか?と問い詰められている気分になってしまう。

個人的な感情を極力抑えつつ、努めて冷静にプレイに集中してみて感じたことは「この人は自分が出した音を観ているな」ということ。隣席させてもらったドネルモの山内泰さんに休憩中に打ち明けてみたところ同意してもらえたのでそんなに大きくは外れてはないはず。

完璧にコントロールしながら鍵盤を押すことで入力された魂は音という粒子になって空間に放たれる。それはあたかもスタインウェイのボディから色とりどり、大小様々なシャボン玉が出現して飛んでいくかのようだ。

そのシャボン玉が現れる様子を、飛んでいく様子を、消える瞬間を彼は「観ている」。たまには次のシャボン玉がよく見えるように、まだ勢いのあるシャボン玉を片手で払いのけたり握りつぶしたりもする。指揮者がリズムを刻んでいるかのようにも見えるその動作は、音が視えている何よりの証しだと私には思えた。

抑制が効いていた前半の、とりわけブラームスが私には沁みた。一転してフルスロットル、レッドゾーンまで存分に回し切った後半の曲目も決して煩くは感じなかった(これは下手側、奏者とほぼ同じ目線の高さという座った位置が良かったのかもしれない。あいれふホールで煩くないフォルテシモのピアノ演奏は私は初めてだった)が、アイドリング回転時からせいぜい5000rpmくらいの中回転域の間でトルクを自在にコントロールして的確なブレーキングと共に巧みにコーナーをクリアしていくかのような前半の演奏があってこそ引き立つ後半のプログラムだったように思う。

つくづく自分がギタリストで良かったと思う。もしピアニストだったら辞めてしまうかもしれないと思うほどの衝激であった。それだけピアノは層が厚い(相対的にギターは…)ということなのだろう。しかしながらその厚みの中でもトップレベルにあるであろうピアニストが知り合いのご主人だという事実。数日前に東京文化会館で行われた公演の際にオファーがあったそうなので次回演奏会が公共の電波で放映される日もそう遠くないはず。楽しみに待っておきたいと思う。

この記事を書いた人

ギタリスト 橋口 武史
長崎出身で福岡に住む自然派クラシックギタリスト。

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